原点に立ち返る時間となりました

半期に一度の全体会、お疲れ様でした!
今回は2年ぶりにMVVに触れるセッションをして、感じたことがあったのでシェアしようと思います。

MVVを大切にしている理由

トライにとっての仕事は、自分の担当が終われば終わり、というものではなく、誰かに受け渡していくものだと思っています。
頼まれたことを期日通りに納品する。
もし価値がそれだけなら、もっと安く速く納品できる会社や、AIに置き換えられてしまうかもしれません。

でも、関わった仕事はその時々の状況に合わせて最適化され、その後も残っていくものだと捉えています。
だから、頼まれた以上の使い勝手を持たせたり、受け取る誰かが困らないよう先回りしたくなる。
自分たちの後工程につながる、のりしろを持って渡すこと。
そういう気遣いにこそ、また一緒に仕事をしたいと思ってもらえる価値があるのだと思います。

だからこそ、会社を動かす一番大切なOSとして、MVVを大事にしています。
トライの仕事で大切にしたい価値観や美学を込めて、困ったときや判断が必要なときに立ち返れるガイドになるよう、仕上げてきたつもりです。

どれだけ言葉にしても、伝わるまでには距離がある

今回は、印刷したものをみんなで読み合わせ、感じたことを共有し合いました。
もちろんみんな読んでくれてはいるのですが、それぞれのバックグラウンドによって、感じ方が同じとは限りません。
だから今回は、それぞれの言葉でMVVを咀嚼してもらう時間にしました。

真・善・美は、どれも馴染みのある言葉だからこそ、私たちがそこにどんな文脈を込めて定義しているかを、あらためて感じてもらうワークでもありました。

話を聞いていて感じたのは、こちらが明確に定義したつもりでも、一度で染み込むものではないということです。
たとえば私たちはMVVのなかで「美」を、見た目の秀麗さではなく、調和や秩序、あるべき形でそこにある状態として定義しています。
それでも、「美しさ・美的感覚」という意味合いで受け取られる場面もありました。
デザインという言葉を、本来の課題解決という意味ではなく、なんとなくスタイリッシュという響きで使ってしまうのと、よく似た構造なのかもしれません。

文章は、一文一文がばらばらに置かれているのではなく、互いに支え合いながら全体でひとつの形をつくっています。
その言葉に別の意味で触れてきた経験が多いほど、書いてあることよりも、これまでの積み重ねから受け取るニュアンスを優先してしまう。
これはMVVに限った話ではなく、日々のちょっとした会話や仕事のやりとりのなかでも、誰にでも起こりうることのように感じます。

何十年という下積みが、体に染み込ませるもの

この話をしていて思い出したのが、お寿司屋さんの修行です。
握り方だけを取り出せば、もっと短い時間で技術として教えられるのかもしれません。
けれど長い下積みのなかで身につけていくのは、技術そのものというより、その土台になる生き方や哲学のようなものだと思うのです。
お客さんとの一つひとつの対話は、そのつど違う。
決まった答えを教えてもらえないまま、時間をかけて自分なりに探し続けることでしか、たどり着けない場所があるのでしょう。
「これに何の意味があるんですか」とすぐに答えを求めたくなる気持ちもよくわかりますが、そこを急がずにいられるかどうかで、後々の所作や言葉の端々に表れてくるものが、変わってくるように思います。

思考のOSを、時間をかけて育てる

かつて、自由な市民が自分で考え、判断するための基礎として学んだのが、いわゆるリベラルアーツだったと聞きます。
特定の職業や立場に縛られない、思考そのもののための学問だったそうです。
私たちがMVVを行動や判断の物差しとして掲げているのも、根っこは同じところにあるのかもしれません。
一度読んで言葉として理解した後も、それが日々の言葉や振る舞いに滲み出るようになることの間には、まだ隔たりがあります。
私たち自身も、まだまだその道半ばにいます。

おわりに

今期も最終月となりました。
お盆休み期間に、どんなことでもいいので何か一つ学びを得る時間を意識してみてください。
普段と違う情報や経験に触れることで、また違った自分に出会える。
そんな機会を楽しんで、また元気に会いましょう!