初夏の気配を感じる頃となりましたが、いかがお過ごしですか?
6月になりました。
もう2026年も半年経とうとしている現実から少し目を逸らしながら、6月の月刊トライワークスをお届けします。(早いね)
消化試合のような一日
日々の仕事を振り返って、今日は何を積み重ねただろう、と考える瞬間はありますか?
目の前の依頼、お客さまからの相談、誰かからのメール、いつものミーティング。
一つひとつをただ処理してさばいていくと、一日は終わります。
終わるのですが、何か残っているかと聞かれると、案外答えに困る。
今日のあの一件は、なんだったのか。
どんな型だったのか。
問い直さないまま通り過ぎていく一日は、消化試合のような一日になるかもしれませんね。
消化試合が悪い、ということではありません。
スピードが要る場面もあるし、すべてを学びに変えようとしたら身がもたない。
ただ、そればかりが続くと、似た場面で似たパンチを食らって、また同じように対処して、また通り過ぎていく。
本人にとっては毎回新しい出来事なのに、外から見ると同じ軌道のパンチを繰り返し受けているように見える。
時間をただ消費していることになりかねません。
タグのない引き出し
なぜ、似たパンチを繰り返し食らうのか。
出来事そのものは、たいてい記憶に残っています。
あの相談、あの納品、あの会議。
ディテールはちゃんと覚えている。
けれど、そこから取り出せる教訓のほうが、出来事と紐づいていない。
引き出しの中身は揃っているのに、ラベルが貼られていない感じ。
だから、いざ別の場面で似た出来事に出会っても、引き出しを開けて中を見ることができない。
ラベル、つまりタグは、そんなに難しいものではないと思います。
今日のあの一件は、何の話だったのか。
一段持ち上げて抽象化してみる。
「これは事前確認を省いたときに起きやすい型だったな」「これは相手と自分の前提がずれているのに気づかなかった型だったな」と、つぶやくくらいで十分なのかもしれません。
それだけで、出来事は少しだけ検索しやすい記憶に変わっていく気がします。
立ち止まる、というのは、たぶんそういうことなのだろうな、とも思います。
何分も時間を取ることではなく、一行つぶやくこと。
それを習慣にできた人は、たぶん消化試合の数が少しずつ減っていくのだろう、と。
本から、はじめてみる
今月15日に、課題図書セッションがあります。
今回の本は『具体と抽象』。
この本を選んだのは、まさに今書いてきたようなことに、別の言葉で触れられている本だからです。
少し触れておくと、セッションは、正解を見つける場ではありません。
本を入口にして、自分の中にある価値観を言葉にしてみて、その価値観に自分自身が触れてみる場です。
事前のアンケートも同じで、設問にさらっと答えて送信ボタンを押すよりも、一問ごとに「この問いは、自分にとってどんな意味を持つだろう」と立ち止まれたら、回答そのものよりも、その立ち止まりの時間に何かが始まっている、ということがあるかもしれません。
これは、日々の仕事に向き合う姿勢と、たぶんつながっています。
本を読むときに「これは自分の何の経験に引っかかるかな」とタグを探せる人は、どんな場でも学ぶことができる。
せっかくやるなら、仕事以外のこういう時間も楽しんでもらえたら嬉しく思います。
おわりに
最後に、自分自身への問いを、そのまま置いておきます。
この1ヶ月のなかで、なんとなく「これ前にもあったな」と感じた瞬間が、いくつあっただろうか。
あの相談、あのトラブル、あのやり取り。
そこに、タグをつけそびれた瞬間が、どれくらいあっただろうか。
そんなことを考えながら、今回のコラムを閉めたいと思います。
寒暖差が激しいこの頃ですが、体調を崩さないように健康第一で7月にお会いしましょう!


